教員になりたい〜教員採用試験〜

こんばんは🌃きぬどうふです!

先日の投稿に書いた通り、私の夢は中学校の教員になることです。
そのためには、教員採用試験というものを受験しなければなりません。
この試験は年に1回行われます。

私は、中学校、高校の教員免許は持っているのですが、本採用されるためには、その試験を受ける必要があります。
本採用されずに、その教科が足りていない学校や、産休、育休等で離れる先生の代わりに勤務する臨時採用教員という形もあります。
この場合は勤務は授業だけでなく、クラスや部活にも関わることになります。勤務内容は本採用の先生とほぼほぼ変わりません。
また、その担当教科の授業のみを行う非常勤講師という形で働くこともできます。
これも募集があれば、なので必ず毎年希望通り勤務できるとは限りません。

私が取得している教員免許は、中学校と高校それぞれの音楽の教員免許です。
音楽の授業がしたいということはもちろん、私が1番目標としているのは、学級担任をし、学級経営をすることです。
音楽が大好きなので、音楽の楽しさや音楽の豊かさを教えたい、そして、これから生きていく上で音楽に少しでも関わっていってほしいという思いがあります。
また、不登校パニック障害人間関係の辛さなどいろんなことを経験した私だからこそ、担任として、いろいろな生徒と向き合いたいという強い思いがあります。

だから、どれだけ難しくとも、何年かかっても、教員採用試験に合格したいです。

昨年、もちろん試験を受験しました。しかし、結果は不合格
今年こそは!と出願も終えましたが、2月に妊娠、3月に中絶。
その後からでもなんとか勉強すれば間に合う!と思っていましたが、うつ病の悪化。。
結論として、今年は心身の健康を優先して、試験を受験をしないことに決めました。
本当なら明日が採用試験第1次試験でした。
こうしている間にも勉強して教員という夢に近づいている人が沢山いる。悔しい。
早く教員という夢を叶えたい。仕事がしたい。
いろいろな思いが渦巻きますが、今は焦らず心身をしっかり整えようと思います。

長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました🍀

服薬中の薬について【転院後】

こんばんは🌃きぬどうふです!

先日、転院になった際に、服薬する薬が少し変更になったので、そのことについて書きたいと思います!

 

朝食後は変更なく、

☑️炭酸リチウム200mg 1錠

夕食後

☑️炭酸リチウム200mg 1錠

だけだったのが、

🆕ロフラゼプ酸エチル1mg 1錠

が追加になりました!

就寝前

☑️ランドセン1mg 1錠

☑️ロゼレム8mg 1錠

 

現在はこんな感じです!

追加になったロフラゼプ酸エチルは、効果の長いお薬らしく、夕食後に飲むことで次の日の朝も効果があるそうです!

 

また、就寝前に、むずむず脚症候群がでていたので、ランドセンを0.5mgから倍の1mgにしてもらったところ、むずむず脚症候群が治まりました!

 

次の受診まであと2週間弱、しっかり体調を記録しておきたいと思います!

 

転院になりました

こんばんは!🌃きぬどうふです!

この度、精神科の病院が転院になり、昨日が初受診でした。
そのことについて書きたいと思います!

もともと通院していた精神科は個人病院で、半年ほど前から通院していました。
通院を続ける中で、私はカウンセリングを受けたいと思うようになりました。
しかし、その個人病院にはカウンセリングがありませんでした。

そこの主治医の先生は、その個人病院以外に、別の大きな精神病院へ診察に行っています。
その大きな精神病院なら、カウンセリングがある、ということを知り、カウンセリングを受けるために転院をすすめられ、通院先を変更することになりました。

診察は変わらず同じ主治医の先生なので、症状などのこともいつも通り診察で話をしました。

そして、診察後にカウンセリングも受けました。
とても優しい女性の方で、私のまとまりの無い話をうなずきながら最後まで丁寧に聞いて下さいました。

「それは辛いですよね」
「よく頑張っておられますね」
「余裕が無くなってしまったんですね」

私が欲しかった言葉を全て言って貰えて、涙が溢れました。
そうだ、自分は辛かったんだ。
その気持ちを受け止めて共感して欲しかった。
余裕のない自分に自覚があるからこそ、何とかしたかった。
カウンセリングを受けることで、何か自分にプラスに働いて欲しいという希望を込めていました。
受けてみて、とても心が整理されたなと思いました。
まだイライラや不安、しんどさは無くなってはいないけど、カウンセリングの力を少し借りることにします。

妊娠、そして中絶までの話【5】

妊娠、そして中絶までの話【4】つづき

【4】はこちらから読めます⇩
妊娠、そして中絶までの話【4】 - きぬどうふのうつ病ときどきパニック障害

中絶手術を経験して

術後、私を襲ったのは、「本当にちゃんと処置終わったのか」という不安感でした。
毎日その不安があって、夫に対して、
「ねえ、もうちゃんと終わったんだよね、もう苦しくないんだよね、つわりはもう無いよね」と聞いていました。
中絶手術という酷く無責任な決断をしておいて、ずっと私自身の体調や辛さばかりが気になる。
その気持ちに嫌悪感を抱きました。

また、もう私には妊娠は無理だという気持ちが生まれました。
精神疾患があって、中絶の経験まであって、どうやってまた妊娠ができる?
つわりに耐えられるの?
つわりが怖い。私みたいな弱すぎる人間に妊娠なんか絶対無理だ。

夫には、もしかしたら妊娠したい、という感情がもう芽生えないかもしれない、だから子供を必ず授かれるか分からない、もしかしたら一生子供なしという選択をするかもしれない。
そう伝えました。
夫は何も反対せず聞いてくれました。

水子供養

そして中絶手術後に欠かせないと思うのは、やはり亡くなってしまった子への供養です。
お寺さんを訪ね、供養をお願いしました。
この供養の意味、これから水子さんの魂はどうなるのか、親である私たちはどうするべきなのか、お坊さんからお話を聞きました。
これから、月命日には必ずお寺にお参りし、話しかけてこようと思っています。

私が妊娠と中絶を経験し、伝えたいことは、

『妊娠は奇跡』

『つわりは壮絶』
『中絶の選択は正しくも、間違ってもいないけれど、中絶手術は本当に身体的、精神的につらい』

色々な意見があると思います。
妊娠と中絶を経験した一人間の一意見であると思っていただけたらいいなと思います。


とても暗く長い話を続けてしまい、読んでくださった方には嫌な気持ちや不快な思いをさせてしまったかもしれません。
ごめんなさい( ノД`)
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
きぬどうふのブログは暗い話だけではないのでまたお時間あれば覗いていってください✩.*˚

妊娠、そして中絶までの話【4】

妊娠、そして中絶までの話【3】つづき

中絶手術

手術は入院せず、日帰りでできるものでした。
当日。指定された時間に指定された荷物を持って病院へ。

まず午前中に手術のための前処置を行いました。
子宮の入口を広げるためのものを挿入する処置です。
とても、とても辛かったです。
痛みも少しありましたし、あまり気持ちの良い感覚ではありませんでした。

そしてその前処置から3時間後。
手術のために、心電図や点滴に繋がれ、処置室で1人で待っている間、
「やっぱりやめようかな、、」
そんなことも考えました。
でも、私の精神状態でこの子は育っていけない、私自身も危ない。
自分を勝手に正当化して、言い聞かせていました。
そして、いよいよ手術。
点滴の管から全身への麻酔薬が入りました。
背筋が冷たい感覚が私の最後の感覚でした。

手術後

目が覚めると、もう手術開始時刻から2時間半も経っていました。
「あぁ、終わったんだ、終わらせてしまったんだ」
大きな大きな罪悪感と、少しの安堵感でした。
内診室であらためてエコー確認をすると、
もう綺麗に居なくなっていました。

「綺麗になってますね、傷も特にありません、大丈夫ですよ」

お医者さんの言葉が突き刺さって、何も言えませんでした。
その後もいろいろな説明を聞き、薬を貰い、帰りました。
術後、全身麻酔薬の副作用で嘔吐してしまいました。
中絶手術は、何もかもが壮絶でした。

次で最後ですm(_ _)m
長くなってごめんなさい(ToT)

妊娠、そして中絶までの話【3】

妊娠、そして中絶までの話【2】つづき

中絶の決断

このままでは私の精神疾患が悪化し、もしつわりがおさまっても、妊娠の状態を続けることは難しい。
ましてやその後出産、育児と考えると、今の精神状態では到底できない。
そう考え、中絶をすることを決めました。

沢山悩みました。沢山泣きました。
そしてこの決断が、正しいとも思っていません。間違っている、最低な行為だ、と非難されるくらい酷いことだということも、もちろん理解した上で、中絶という決断をしました。

中絶の手術ができる病院を予約し、わずか4日後に手術の予約
診察で中絶の意志を伝え、感情を殺して淡々と説明を聞きました。
同じ病院待合室にいるほかの妊婦さんに顔を見られたくなくて、1番隅の端っこに座りました。
もし知られたら、責められる気がして。
私は悪いことをしているんだ。間違ったことをしようとしているんだ。私がいけないんだ。
そう思いました。

この子と過ごすのもあと4日。
中絶の手術の予約をしてからは、毎日毎日泣きました。
泣くくらいなら中絶しなければいい、頑張ればいいのに。
そんな声も聞こえました。思いました。
でもその時の私には、もう続けられなかったのです。

続きますm(_ _)m

妊娠、そして中絶までの話【2】

妊娠、そして中絶までの話【1】のつづき

心が壊れていく

妊婦検診は毎回問題なく、むしろ雑なくらいで、私はちょっと苦手な産婦人科でした(-.-;)
つわりが酷くて1度検診以外で受診した時、看護師さんに「何回吐いた?」と聞かれ、「3回くらいです…」と言うと、「え?たった3回?私なんか1日に30回は吐いてたよ(笑)」と言われ、メンタルがボロボロになった記憶があります。

妊娠がわかる前から、私は精神科に通院していたので、飲める薬は飲んで、精神科の治療も続けていました。
しかし、夜は寝られない食事は取れない体重はみるみる減っていく
もともとうつ状態にあった私の心はどんどん壊れていきました。
つわりの恐怖夜の吐き気のつらさ産婦人科での扱われ方
全てが私の心に不安としてのしかかり、ついには
「もうごめん。死にたい。」
そう口にしていました。

望んだはずの嬉しくてめでたい妊娠。
当たり前ではない、命を授かるということ。
それはもちろん簡単でも楽なことでもありません。
しかし、世の中のお母さん達はみんな辛いのも苦しいのも乗り越えて、命を育てている。
本当にすごいし、私もそうなりたいと思っていました。

でも、もう心が悲鳴をあげていました。

夫も、毎日「死にたい」と口にする私を見て、泣きながら「何も出来なくて本当にごめんね」
と言っていました。
「頑張れとは言わない、よく頑張ってる」
そう言ってくれました。
そして、ついにその決断をします。

次に続きますm(_ _)m